IRC フォーミュラPRO RBCC チューブレス 700C フォルダブル
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バスキア研究の世界的権威ディーター・ブッフハート氏が、バスキアと日本の多方面にわたる絆、日本の歴史や文化が及ぼした影響などを明らかに。約130点の作品図版ほか、専門家によるエッセーやポートレート、年表などを収録した決定版。
■図版
1 路上というスタジオ / STUDIO OF THE STREET
2 英雄たち / HEROES
3 カートゥーン / CARTOON
4 メイド・イン・ジャパン / MADE IN JAPAN
5 自画像 / SELF-PORTRAIT
6 言葉 / WORDS
7 ドローイング / DRAWINGS
8 サンプリングとスクラッチング / SAMPLING AND SCRATCHING
9 晩年の作品 / LATE WORKS
■論考 ディーター・ブッフハート、宮下規久朗
■インタビュー 前澤友作、佐竹昌一郎
■年譜
3,000 円(税別) A4変形、264 ページ、上製
デザイン:グルーヴィジョンズ ISBN:978-4-908356-10-0
発行:フジテレビジョン 販売:ブルーシープ
2. 『バスキア・ハンドブック』
誰でも楽しめるバスキア入門書。難解なイメージの作品の見方が変わる一冊
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僕には、バスキアは絵を描こうとしたというよりは、自分の時間をそこに残そうとしたんじゃないかと思えてきます。
– 日比野克彦(アーティスト)
バスキアは流行とは関係なくユニークであり、しかも20世紀のモダニズムを正統に継承したアーティストであると見直されるようになっていったんです。そして、いまや巨匠として地位を獲得したと思います。
– 宮下規久朗(神戸大学教授・美術史家)
これまで無かったバスキアの入門書。代表作の図版、素顔に迫るポートレート、バスキアを知るた めの手がかりとなるトピックス、年表なども収録したハンディな一冊。監修は宮下規久朗(美術史家)。日比野克彦(アーティスト)、菊地成孔(音楽家)ほか執筆。
■代表的な作品図版
■生前のバスキアと交流があった現代美術家の日比野克彦、 美術史家の宮下規久朗によるバスキアを巡る Q&A
■バスキアの素顔に迫るポートレートが充実
■わかりやすい作品解説のトピックス
■バスキアに魅了された文化人のコメントを収録。河内タカ(編集者)、ローランド・ハーゲンバーグ(写真家/編集者)、菊地成孔(音楽家)、前澤友作(アートコレクター)
2,000円(税別) B6変形、152ページ、並製
デザイン:グルーヴィジョンズ ISBN:978-4-908356-09-4
発行:フジテレビジョン 販売:ブルーシープ
3. 『バスキア ザ・ノートブックス』
バスキアの制作の裏側を知るノートブックス
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『バスキア ザ・ノートブックス』は大変好評につきましてすべての在庫が完売いたしました。
再販の予定はありません。何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
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本複製版にはバスキアが手がけた 8 冊のノートブックス、そしてそれらに付随する数枚の綴じられていないペー ジが含まれている。画家自身の手によって書き出されたアイディアやイメージが、流れるようにすべてのページ に息づいている。私はこのノートブックスがジャン = ミシェル・バスキアの作品を鑑賞し理解する上でのひとつ の礎となり、彼の複雑でクリエイティヴな人格の重要な側面を明らかにしてくれることを願っている。いかなる アーティストもその内なる働きの全貌を知ることはできないが、われわれはここにある数々の言葉の中にバスキ アの魂の片鱗を垣間見ることができるであろう。
– ラリー・ウォルシュ(アートコレクター)
バスキア展では、バスキアがキャリアをスター トさせた 1980 年から死に至る前年までの 7 年間日々綴られた 8 冊のノートが一挙公開される。バスキア独自のセンスとユーモアが詰まったドローイングとテキストで構成された 8 冊のノートを、オリジナルの質感そのままに完全複製し、 1 冊にまとめて刊行。手軽で、かつバスキア作品の真髄に触れられる本書は、ファン垂涎の1 冊。解説、日本語完全対訳つき。編集ラリー・ウォルシュ。
3,500円(税別) B5判変形、304ページ、並製
デザイン:グルーヴィジョンズ ISBN:978-4-908356-11-7
発行:フジテレビジョン 販売:ブルーシープ
ジャン=ミシェル・バスキア
Jean-Michel Basquiat
1960 年、米国ニューヨーク・ブルックリン生まれ。父はハイチ人で母はプエルトリコ出身。1977〜79 年、マンハッタンのストリートでアル・ディアスと SAMO© の名で手掛けた詩的なグラフィティで名を馳せる。1980 年、伝説的なグループ展「タイムズ・スクエア・ショウ」で絵画作品を初 めて展示。1981 年には「ニューヨーク/ニューウェーブ」展に参加。同年、 ガレリア・エミリオ・マッツォーリ(タリア/モデナ)で自身初の個展を開き、翌年には、アメリカで初となる個展をアニナ・ノセイ・ギャラリー(ニューヨーク)で開催、評価を確立し、経済的成功を収めた。1982 年には最年少で国際美術展「ドクメンタ7」、1983 年に現代美術の特別展「ホイットニー・バイエニアル」参加。アンディ・ウォーホル、キース・ヘリングなど当時を象徴するアーティストと交流を深め、80 年代のニューヨーク・ ダウンタウンのアートシーンで旋風を巻き起こしたが、わずか 27 歳で悲劇的な死を遂げた。